「あれから4年・・・」

2015年03月11日

「あれから4年・・・」

今日は3月11日です。東日本大震災の発生から5年目の朝を迎えました。
4年の月日が経って被災した各地では少しずつ復興が進んでいるんですが、その中では変わったこと変わっていないこと、それぞれ人や場所によって差が生じています。私は先週の6日、金曜日の「とくダネ!」の番組が終わったあと、いくつか被災地を回ってきました。復興といっても地域・地域で全然違うんですね。
3000人の死者・不明者を出した宮城県石巻(市)から今朝、笠井アナウンサーが生放送で報告してくれた映像にもありましたが、津波で壊れた、まだ片付いていない家に住み続けている方が何人もいらっしゃる。一方、石巻から東へ直線距離で10数キロの女川町では盛土の工事が進んでいた。4年前、津波で完全に破壊されたJR石巻線の女川駅も新しい駅舎が完成していて10日後の開通を目指す電車の試運転の様子も見られました。
壊れたままの自宅になんとか雨風をしのいで住んでいらっしゃる“在宅被災者”はあまり知られていないでしょう。そんな現実が4年経った今も続いているわけです。そういう方が石巻市だけで5000世帯以上とか。危険な状態ですから仮設住宅で暮らした方がまだよいのではと思いましたが、応急修理制度というのがあってお話を聞いていた方は52万円。250万円までの補助金の範囲内で家を直すのにその制度を使ってしまうと仮設住宅に入る権利が無くなってしまうって。聞いて唖然としました。
震災直後、私も被災地を取材したんですが、その時、いろんな人に出会いました。地元に残るためにお寺で避難生活をしていた方、自分が育てた牛から絞った牛乳を放射線量の影響で穴に捨てていた方・・・。今回はその方たちと再会しました。
陸前高田(岩手県)へ行って驚きました。4年前、向こうの海が全部見えて手前に瓦礫があって、それをかき分けるようにして歩いた。その町の景色は一変。高田幼稚園の跡地に何もなくなり、街の中心部には長~いベルトコンベアーが縦横に走り回っている。山を崩してこのベルトコンベアーで土地のカサ上げをするために運んでいるようです。すごいこと考えたね~。何年かかるんだろう、これ。
あの震災から1カ月後、ここで出会ったのが農業を営んでいた菅野剛さんでした。寺で避難生活を送っていて、もう畑に「ジャガイモの種蒔いているし、今日も雨のあとで天気がいいんで春菊、小松菜とかもやろうと」と言っていた、そのバイタリティに驚かされた方です。今泉地区を訪ねると菅野さん、お元気でした。一昨年から農家の仲間たちと米作りを再開。地元の酒蔵に出荷し、地産地消の事業を展開していました。自立して地元の復興に向けて歩き出していましたが、不安もありようです。震災前、この地区には550戸の世帯が暮らしていたそうですが今「4年経って16戸」。かなりの人が他へ移ってしまったと言います。地域の祭りに欠かせない「七夕けんか太鼓」を叩いていましたが以前のように人々が戻って大勢の前で叩けるのはいつになるでしょうか。
そして、福島県の浪江町の請戸(うけど)地区。津波の被害が大きかったこの地区へ私は震災以来、毎年行っているんですが、今回行ってみたら瓦礫が無い!昨年までとは一変していました。去年来た時は無かった瓦礫の仮置き場があって、驚いたのは全部細かく分類してある。4年経ってやっと決まった瓦礫の仮置き場、作業はいつまで続くんでしょう。
浪江町と同じように原発事故が原因で居住制限を受けている飯館村には除染廃棄物が入っている黒い袋があちこちに積まれていました。この村で酪農を営んでいた長谷川健一さんを訪ねました。あの時、50頭の牛を抱えて苦悩の中にあった長谷川さん、牛乳の出荷停止により満足にエサを与えられない痩せ細った牛たちがいました。絞った牛乳を穴を掘って捨てるしかなかった方で、私にとってその印象は強烈でした。
あれから4年。かつての牛は飼えないため処分されていったのですが、唯一あったのは祈りの塔婆です。牛を失い、酪農家としての復活はあきらめるしかなかった長谷川さんに、なおも続く放射性物質への不安。その中で4年間、続けてきたことがあります。それは、故郷の姿を映像で残すことでした。「田んぼ、畑には誰一人として人がおりません」(自身のナレーション)。被災以来の故郷の映像を1本にまとめて自主映画として上映会を行っていたそうです。除染が進んだと言っても「人は戻ってくるのか?」といえば100%は戻らないわけで、「高齢者の方は残るけど若い人たちは戻ってこないよ」と言う地元の方、多いんですよね。
いろいろ取材する中で印象的な言葉があったんですが、菅野さんはすでに6人の方たちと田んぼでコメを作って、お酒も造ったりしている。そのお酒は自分たちで飲むためだとおっしゃっていましたけど、おいしいお酒でした。飲ませてもらいました。若い人たちが、そういう年配の方が頑張っていい仕事をしているんだから、それを見て陸前高田に戻ってきてほしいとおっしゃるんです。で、菅野さんが言うには、町にベルトコンベアーが縦横に走り回っているんですが、あれ、陸前高田を知らない人が復興計画を進めたので地元が置き去りになっているようにしか思えないとおっしゃるんです。ここは甲子園の80個分の土地の区画整理事業をやって、10mカサ上げをするために山を削って土を運んでいる。4年でそれが完成し、総事業費が1200億円だということなんですが、僕はそれを聞いて絶対ムリだと思いました。もっと時間やお金がかかるんじゃないかと思います。
それと、飯館村で酪農をやっていた長谷川さんがおっしゃっていたのは、自然災害では復興のために人々は一丸になってまとまるけど、原発の事故に関しては考え方が様々なので逆に人がバラバラになる。自分たちの周りを見ても出て行ってしまう人、家を壊す人、いろんな人がいる。原発に対する思いは一緒なのかもしれないけど・・・と言っていました。確かに被災地でも津波にやられたところ、原発でやられたところでは大きな違いがありますし、そのどちらにも地域や住む人よっていろんな違いがあるのを感じます。

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