「また一人・・・菅原文太さん逝く」

2014年12月02日

「また一人・・・菅原文太さん逝く」

高倉健さんの死からわずか3週間、またひとり、昭和の名優がこの世を去りました。菅原文太さんが先月、11月28日に転移性肝がんによる肝不全で都内の病院で亡くなっていたことが昨日、明らかになりました。81歳でした。

菅原さんはファッションモデルなどを経て1958年に本格的に映画デビュー。先輩たちにそうそうたる方たちがいて大変な苦労をする下積み時代が長かったそうです。67年に東映へ入社後、高倉健さん主演の「網走番外地」シリーズや若山富三郎さん、鶴田浩二さん、藤純子さん、梅宮辰夫さんなどが主演する映画で共演はしていたんですが・・・なかなか主要な主演作品には恵まれませんでした。
一気にスターの座を確立させたのが73年から始まったシリーズ作品『仁義なき戦い』です。深作欣二監督の任侠映画、いわゆるヤクザ映画ですが、その描写のリアルさと迫力には圧倒されました。ご本人は仙台出身で地元の仙台一高から早稲田へ進んだインテリですが、広島弁で好演。見ていても怖い、凄い迫力でした。
そのあと1975年から始まったのが、これもシリーズ作品の『トラック野郎』。一転してコミカルな役を好演しました。“名相棒”だった愛川欣也さん、後半、トラック野郎の“仲間”役をやったせんだみつおさん、皆さん、訃報を聴いて呆然したようなコメントを寄せています。

ただ、後年は私生活で大変なことが続いています。2001年に、後を継ぐように俳優の道に進んでいたご長男が不慮の事故で31歳で亡くなり、生きる気力さえ失いかけたということがありました。7年前には自らの膀胱がん発覚、さらに故郷・宮城県を襲った3.11の東日本大震災・・・。これらが菅原さんの生き方を大きく変えたようです。2009年、山梨県に農業生産法人を設立して無農薬、有機栽培を実践されていました。
つい最近も沖縄へ選挙の応援に行ったりしていらっしゃいましたから、私もまさか!?と思いました。その知事選の時には「安全な食べ物を食べさせること」、もう一つは「絶対に戦争をしないこと」と話していました。自分のためとか家族のためとかだけでなく、若い人、子供たちのため、日本の先々のためにという大きな願いが込められていたように思われます。俳優さんをやめたあとは積極的にご自分の意志を貫いていましたから立派だなあ~とみていましたが・・・

俳優の仕事を断る一方で最後まで続けていたのはラジオ。ニッポン放送のパーソナリティーを務めていた「菅原文太 日本人の底力」(日曜、前5時30分)です。おととい朝に放送された最後の回は10月24日に収録されていました。同局では7日、14日に追悼放送をする予定だそうです。
高倉健さんのときもそうでしたが、菅原文太さんも本当にごく一部の人しか亡くなったことは知らずに、すべて葬儀がある程度過ぎたところで発表。ふつう、レギュラー番組を持っているところには連絡をしますが、ニッポン放送も知らなかったようです。

平和を希求していましたが、政党を応援するというのではなくて「絶対に戦争はしてはならない。原発ももうやめようよ」、そういう考えの人のところへ応援に行ったりしていた。ですから、その気持ちはひしひしと伝わってくるところがありました。
今年はなんでこんなに名優が亡くなるんでしょうね~。とにかく素晴らしい名優を失いました。

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